千早に教わる共産科学 〜ルイセンコ遺伝学〜


 
 理工系じゃない、という批判は甘んじて受けます。
 すみません。
 
 以下長文。
 

この動画は、特定の人物・団体・宗教を誹謗する意図はありません。
古今東西、人間はみんな同じように過ちを犯してきたからです。

 
「サブタイトルは例の事件の皮肉か」……?
 
“例の事件”?
 9.18?
 
 ……ああっ、「政治が科学を主導するとき」が、民主党の「政治主導」を指してると思われたのか……!
 
 いやいやそういう意図はなかったです。
 いやマジでマジで。
 
 電力不足云々も2011年の日本を指したつもりはなかったです。ええ本当に。
 
 えーっと。
 
 この動画はフィクション……でない部分もかなりありますが、現代の特定の人物・団体・宗教を誹謗する意図はありません。
 ルイセンコとか、現代じゃない人はその限りではないですが、なんというか、「信じたい嘘」を信じてしまう、というのは人間共通の弱さだと思うのです。
 
“Libenter homines id quod volunt credunt.”
 の語は、恥ずかしながらコメントで初めて知りました。
「人間は、自分が信じたいと望むことを喜んで信じるものである」
 という意味のラテン語だそうで、出典はガリア戦記(!)だとか。
 
 ……冷戦期はおろか、カエサルの時代から人間はそうなんだ、という。
 
 原発事故や放射能関連のコメントも多数ついていますが、私は医者ではないので安全性についての意見は差し控えます。
(私はガイガーカウンターは持っていないし、買うつもりもない、とだけ)
 
 ただ、実際の所どの程度危険なのか、安全なのかはさておき、
「安全である。危険を喧伝するのは福島への差別だから許されない」
 という主張も、
「危険である。安全を喧伝するのは東電の御用学者だから許されない」
 という主張も、いずれも政治的・道徳的正しさを科学的正しさの根拠にしようとする過ちだと思うのです。
「その理論はブルジョア的だから許されない」
 と同様に。
 
 政治的・道徳的に正しいことが、科学的にも正しいとは限らない。
 苦い教訓ではあります。
 
 ルイセンコの主張も、登場した時にはまあそこまで突飛とは言えませんでした。
 彼に限らず、歴史上、間違った説を唱えた科学者は大勢います。
 というか、全く間違ってない科学者なんてほとんどいないでしょう。
「間違いを犯したことのない人とは、何も新しいことをしていない人だ」(アルバート・アインシュタイン
 
 ただ、普通の科学者は、自分がある程度間違っているであろうことを理解していて、自分の理論が未来永劫何の問題も発見されない、とは思っていないと思うのです。
 
 それなのに、一つの理論が「政治的に」正しい、とされて、本来は科学の常道であるはずの批判的検証が許されなくなってしまったのが、ルイセンコ主義が惨禍をもたらした原因だと思います。
 
 大躍進における「成果」もそれに似ているのですが、ああいう巨大作物が育った、という報告を政府が捏造したのかというとちょっと違って、各地の農民から競ってそういう報告があったという。
 なんか、一生懸命巨大なハリボテの豚を作ったりしたらしいです……肝心の農作業を放り出して。
 
 さりとて当時の中国の農民を批判することもできません。
 なにしろ、
「我が人民公社では毛同志の指導によりこんな成果が!」
 ……と言わないと忠誠を疑われて労働改造所に送られてしまう時代だったわけで、どこも必死だったろうと思います。
 
「良い報告をしないと処罰する」という上層部には、正確な情報は届かなくなるのですね……。
 

補足:日本におけるルイセンコ主義。

 
 ルイセンコ農法は、日本でも一時導入された地域があったようですが、幸いというか当然ながらというか、主流にはならなかったようです。
 
 あれこれネットで調べてるうちに、“復刻版「岡山畜産便り」”の中にその話があるのを発見しました。
http://okayama.lin.gr.jp/tikusandayori/s2907/tks17.htm
(しかし、岡山県畜産協会はすごいな、と思います。
 1949年の記事からテキスト化してネットに上げてるとか、どんだけ手間かけてるんだ、と。
 ネットの新聞記事なんて数週間で読めなくなっちゃうのに……)
 
「落ち穂」という名前のコーナーで、畜産家である筆者は、どうもミチューリン農法(記事中では「ヤロビ農法(ミチュリーン農法とも呼ばれる)」になってます)には半信半疑なようです。

 最近各地にヤロビ農法による米麦の増収が伝えられ農業者の関心は高まり次第次第にこの方法は普及化され本年2月,日本ミチュリーン会が組織されるまでに到った。
(略)
 専門外のことでもあり余り大きな関心を持っていなかったが昨年長野県農業試験場の稲についての試験結果を見て急に興味を覚え早速徳田博士の「2つの遺伝学」を買った。

 徳田博士の本は読んだことないですが、ルイセンコに好意的な人だそうです。
 
 個人の趣味的な取り組みではなく、農業試験場で試験されるほどの状態だったんですね。
 しかもなんかプラスの結果が出てしまったらしいという……どんな試験だったんだ、と思いますが。
 
 で、筆者が考えるに。
>育成時代に合理的な飼養管理をなし充分立派に育成発育した乳牛,鶏は両親の血統能力から予想せられる以上の泌乳,産卵を示すことは事実でありまた逆に育成時の管理不十分の場合は両親の血統能力をむしろ疑いたい程の能力しか示さない
 
 つまり、血統はさほどでない牛やニワトリも、きちんと世話をしてやれば予想以上の乳や卵がとれる(逆もまた然り)のは事実ではある、と。
「ちゃんと世話しないと遺伝的形質が劣化して収穫が落ちるよ」
 というのが、ルイセンコ主義だと理解されていたようです。
 で、筆者は
 
>この事実はメンデル・モルガンの遺伝学を教えられた遺伝形質の不変を疑わない私達には簡単に解明することが出来るが
 
 ……と述べています。
 つまり、ルイセンコ主義の立場から説明することもできるけど、メンデル主義の立場からも説明できるよね(=ルイセンコ主義の正しさを証明するものではないよね)、ということです。
 
 農業試験場の試験もそういう内容だったのかも知れません。
岡山県のページで調べようと思ったんですが、こっちは古い資料は載ってないっぽい上に、意味もなくpdf化された文書ばかりで力尽きました)
 
 ともあれ、「落ち穂」に記事を書いた畜産家氏の冷静さには敬意を表したいと思います。
 

あと雑件。

 
 亜美真美デウスエクスマキナ、マジ万能!
 
「じょうたい:せきか」
 はうまいなあ……。思いつかなかったです。
 正露丸征露丸)の方が良かった、というのも、言われてみれば確かに。
 
 ……オ○ナインがぶつかった時の音が木の板っぽいのは誰も指摘しないな……。
 
「だいたい医療」の刑がなんなのかは私も知りません。
 灸を据えるのかも知れない。
 
 唾液腺ホルモン(パロチン)の話は私は知りませんでした。恐ろしいなあ。
 まあ、効能が疑わしいものが健康保険の適用を受けている、という意味では、もっと一大産業を形成している分野がありそうな気がしないでもない。
  
 それから、言葉としての「遺伝子」と「DNA」の違いについて。
 
 この2つは日常会話ではほとんど同じ意味で使われますが、両者の関係はかつてはそこまで自明ではありませんでした。
 
 親の特徴が子に遺伝する、という事実は、それこそ有史以前から知られていたはずですが、それがどういう仕組みで起きるのかは20世紀後半まで謎でした。
 この、「遺伝を司る謎の何か」を指す言葉が「遺伝子」です。
(さっきの「岡山畜産便り」では、「ゲン」という言葉が出てきますがこれも同じく。今なら「ジーン」と表記するでしょうけど)
 
 一方、「DNA」は、言うまでもなくデオキシリボ核酸のことです。
 
 今では、地球上のほとんどの生物では、だいたい「遺伝子=DNA」なことが明らかになっています(RNAを使ってるウイルスもいるそうです)が、かつては、遺伝子の正体はDNAなのかタンパク質なのか、といった点で議論があったのです。
(DNAの発見当初は、細胞内でリンを貯蔵する役割がある物質なのだろう、と考えられていたそうで)
 
ソビエト科学アカデミー」のシーンや、「遺伝子は全身に偏在遍在している」*1といった台詞は、そういう意味で「遺伝子」の語を使っています。
(「科学者B」が言うように、遺伝子の正体がDNAであろう、という説は、当時既に有力だったようですが……)
 
 最後のアネクドート、ネタ元を見るとどれも「豚で動物実験」になってるんですけど、「豚」であることに意味があるのかなあ……。
動物農場」も確かに豚ですが、あれはイギリスの小説だから関係あるとは思えないし……。
 
 本編のラスト、なんとも尻切れトンボになってしまいましたが、あまり良いオチが思いつかなかった……。精進します。
 しかしですね、律子さんに代弁してもらったとおり、千早はありのままでいいんだと思うのですよ!
 千早いじめと受け取る向きもあるかも知れませんが、それもあふれる(屈折した)愛の産物だ、と理解して頂けると心が安まります。
 
 ……と、つらつら書いていたら長くなってしまいました。
 これまた尻切れトンボではありますが、ここまで。

*1: 恥ずかしい誤字ですね……。